2013年10月17日木曜日

Paint Ball 初体験、その後いろいろ感じたこと

平日ではありましたが、チームで半休をとり会社から程遠くない Ashland にある Paint Ball 場でチームアウティングをしてきました。


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日本にいた頃は一度も体験したことのないスポーツでしたが(そうスポーツなんです)今日の Paint Ball 場でプレイした限り、ルールはプレイフィールドに設置された障害物に身を隠しつつ、色の入ったシェルを銃で打ち出しそれを敵チームのプレーヤーにあてていけば勝ち、逆に被弾すれば自分は退場、といったもの。ルールはシンプルながら実際やってみると色々と難しい。何が難しいのかって、1) 狙いが定まらない、2) 空圧で銃から打ち出されるシェルが高速(被弾すると地味に痛い、素手にあたって血が出ました)、3) 戦略が全く思いつかない。
本格的なトーナメントもあるらしいですし、カタカナで「ペイントボール」と検索してみたところ日本でも幅広く行われているスポーツとなってるようです。Paint Ball を一回やってみて、戦場での兵士がいかに想像を絶する状況下で死と隣り合わせになっているかが、ほん~の少しだけ分かる気がしました。あとは、戦略論の大切さとか。

と、そんな感じでチームアウティングを終え、その後はまた会社に戻りコードを書いてたのですが、Paint Ball で同僚と銃撃戦を交えた非日常感からか、ふと人間関係についてオフィスで考えていました。

上司とか先輩とか
今のチームメンバーにはもちろんそれぞれ肩書きがあるのですが、それは各々の仕事の中身を明確にし効率よく処理するだけのただの窓口にすぎない。ディスカッションが始まってしまえば、上司、先輩など関係なく、自分を出していける。相手もそれを全身で受け止めてくれる。精神的に負担になるような階層はどこにも存在していない。今日の Paint Ball だって、自分のボスや社歴 20 年の先輩にたいしてガチで銃口を向けてぶっ放してるんだから、礼儀はどこへ行ったんだって話です。

そして上記を皮切りにアメリカに5年以上滞在してきて、他にも色々な境界線がなくなってきてたことを職場からの帰途でうっすらと感じていました。

なにじんとか
周りにいる人の国籍がバラバラで、自分の接している方がどこの国の人なのか、そういうことを問いかける脳の部分が麻痺してしまっている。のび太のように「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人」であれば、なにじんだっていいじゃない。

言葉とか
そういう多国籍の人とは英語で話すため、最近は自分の中で日本語と英語の区別がもうなくなっている。ふたつひっくるめて「自分の意思を伝える言葉」です。

学術分野とか
最近は世界史の本とかを読んだりするけど、芸術や宗教、政治や経済、戦争論と色々な分野の土台になっていることにいまさらながら痛感する。学生だったころは文系科目だからとかいう理由で避けて通ってきたことにただただ後悔ばかり。学びに境界線なんてないことにこの年になって気づく。

様々な境界線を感じなくなっていく一方で、日本語には人に劣等感や不幸を与える線引きワードが、まだまだ日常で普通に交わされているなぁとも常々思うわけで。

 高学歴・低学歴、現役・浪人、文系・理系、正社員・非正社員、新卒・既卒

高学歴・低学歴
真にクレジットを受けるべきは確固たる教育理念を掲げ機関を設立した創設者であって、その創設者らのビジョンに高いも低いもない。その理想の元、レールの上を通っただけの人間がそれに妙な付加価値をつけて何かを高いとか低いとか言っていることがおかしい。先生や学友らを含めた愛校心から、卒業した学校を載せてるのであればそれは納得がいくが、大の大人が「学歴」とやらのためだけに卒業校を列挙してるとしたら、それは大学生がこの幼稚園卒業しましたって言ってるのと変わらないレベルかと。
カリキュラムだけならもうオンラインで好きに学べる時代だし、わざわざ学校に通うなら、尊敬する先生がいるもしくはクレイジーなやつらがたくさんいるっていう理由で選ぶべきでは。

現役・浪人
長い人生のたかだか一年くらい、気にしなくていいのではないでしょうか。

文系理系
個人的には、自分は文系(理系)のこの科目には興味がないから理系(文系)にいるんだ、っていう否定的な枠組みに聞こえることが多いです。経済学にだって数学は必要だし、工学にだって人類史は必要。

正社員・非正社員
会社に貢献してる人の労働そのものに差があるんだろうか。

新卒・既卒
別にその人をあなた色に染め上げるわけじゃないんだし、卒業から時間が空いてたって何の問題が?ほかの人が持ち合わせていない特殊なスキルが”既卒”の人にあるかもしれない。

自分が生まれた、世界で一番好きな国。だからこそ、本質的には何の違いもない上記のような言葉が飛び交って、誰かの気持ちを暗くさせていると思うと無性に悲しくなるわけです。