2014年7月6日日曜日

異を唱えるということ

2013年の自分に対する360度レビューで一番真摯に受け止めた事項が「Yuki はもっとはっきりと異を唱えること」でした。多かれ少なかれ僕と会話したことのある人なら「あれ、この人ほとんど反論してこないな」と気づいたことがあるかもしれません。僕が人と会話をしてほとんど反論しないのは、調子を合わせているからではなくて、僕自身の頭の回転が遅いからなのです。反論するときは常に相手の改善に繋がるようにと考えると、必要な材料を会話の最中に揃えるのが難しい。なのでその場で理にかなった反論をする人は頭がいいなと僕はいつも思っています。

今の職場はとても恵まれており、このレビューをボスから受けるときも「仕事ぶりをみていて、Yuki がどんな人間かはみんな知っている。その Yuki が異を唱えるんだ、みんなはきっと真剣に受け止める」といわれたときは正直胸が熱くなりました。

この異を唱えるという行為が、人と面と向かって話すときのアクションとして一番難しいと僕は考えています。同意する、質問する、といったアクションはそれに比べれば難度が低い。同意をする場合、適当に相槌を打てば相手はいい気持ちになって終わる(話全体が建設的になるかどうかは別として、そういう意味では真に同意をするのも難しいアクションなのかもしれない)。質問をする場合、片方は物事を理解している側、もう片方が教わる側という図式が往々にして成り立つので、多少の行き来こそあれ同じ理解の土俵にたどり着いてしまえば後腐れなく終わる。異を唱える場合、なぜ難しいかというと「自分の理解が確立されている」+「相手の言っていることを理解している」+「相手の議論に穴があり、具体的な事例とともに指摘できる」の3つが見えていなければならないからです。僕のチームには、この人がいなくなったら仕事に行く楽しさが半減してしまう、というくらい素晴らしい人が一人おり、この人は異を唱えるのが非っ常にうまい。伝え方もマイルドで、相手は自分の議論の傷口がふさがっていくような感覚を覚える。それはおそらく上に挙げた具体例の出し方によるものだと思う。反論の開始点になる具体例が納得のいくものであれば、聞く側もおのずと耳を傾ける。

反対意見を述べるときに具体例を出すというのは非常に難しく、どれだけ難しいか身近な例でいえば Amazon のレビューなどがいい例。思わず相槌をうってしまう☆ひとつの低レビューはなかなかお目にかかれない。人間、低レビューを書くときは気分が悪いまま感情的に筆を走らせるので(曲がダメ、演出がダメ、デザインは前のほうが良かった etc.)、なぜそう思うのかに対する具体例が書かれていない。最近だとこのようなエントリーも目にとまりました。

あなたの周りに思わず感謝してしまうような反対意見を述べる人、異を唱える人がいたとしたら、その人を大切にしてください。自分ひとりでは到達できなかった領域へと導いてくれるはずです。