2011年3月18日金曜日

無に敏感、有に鈍感

それすなわち、どの人もおそらく一度は感じたであろう幸福に対する感覚。この世は、奇跡で満ち溢れている。太陽の存在、地球の存在、太陽と地球の距離、大陸の存在、水の存在、空気の存在、食糧の存在、生物の存在、人間の存在、家族の存在、友人の存在、あるいは人間を生かす肉体の存在。マズローの唱える欲求には階層があり、それぞれの層で欲求が満たされたときの幸福感があるならば、幸福も同様の階層構造を成すはずである。前述の数々の奇跡がもたらす幸福は、最下層に位置している最も感謝されるべき幸福といっていい。

悲しいかな、この最下層の幸福は実現されているだけでもありがたいはずなのに、それしか実現されていない状態では、所属・愛の欲求や自己実現の欲求といった上層の欲求しか目がいかなくなる。しかし、ひとたび上層の幸福が実現されれば下層の幸福など見向きもしなくなる。いわゆる「当たり前」というやつである。この幸福段階説では人間の脳の「慣れ」のせいで、さらなる欲求を満たすために下層の幸福を足場にして階層を見上げるのは容易だが、現状を支えているその足場に感謝をするために階層を見下ろすのは困難なのだ。もしも、今回の東日本大震災で自分の地域が被災を免れ、心なしかいつもより自分の状況が良く見えたとしたら、それは日頃から下層の幸福に対する感謝を怠っていたということかもしれない。しかし、普段から下層の幸福に対しはっきりと感謝の意を表すことは難しい。そういった習慣をつけるとしたら
  • 「もし家族がいなくなったら・・・、もし家がなくなったら・・・、もし事故に巻き込まれたら・・・、もし重病を患ったら・・・」、頭の中で big if を想像し、現状がどれだけ幸せかを心の中で感じ取る。

  • この世の調和をもたらしている存在があることを信じ、その存在に対し日々の恵みを感謝する。
父の実家に帰ると今は亡き祖母が毎日仏様にお経をあげていたり、数学ガールの著者が定期的に感謝の意をブログに記したりしているのは、マリアナ海溝よりも深い意味があったのだ。むやみに新しい欲求に手を伸ばさず(無に鈍感)、そこにある幸せを大切にするのである(有に敏感)。


話が変わりますが、僕がいる department でも呼びかけに応じて大勢の同僚が donation をしてくれました。離れた地からではあるけれど、全力で復興にあたるみなさんの手助けをしたい。どうかこの元気玉が届きますように。

0 件のコメント:

コメントを投稿