悲しいかな、この最下層の幸福は実現されているだけでもありがたいはずなのに、それしか実現されていない状態では、所属・愛の欲求や自己実現の欲求といった上層の欲求しか目がいかなくなる。しかし、ひとたび上層の幸福が実現されれば下層の幸福など見向きもしなくなる。いわゆる「当たり前」というやつである。この幸福段階説では人間の脳の「慣れ」のせいで、さらなる欲求を満たすために下層の幸福を足場にして階層を見上げるのは容易だが、現状を支えているその足場に感謝をするために階層を見下ろすのは困難なのだ。もしも、今回の東日本大震災で自分の地域が被災を免れ、心なしかいつもより自分の状況が良く見えたとしたら、それは日頃から下層の幸福に対する感謝を怠っていたということかもしれない。しかし、普段から下層の幸福に対しはっきりと感謝の意を表すことは難しい。そういった習慣をつけるとしたら
- 「もし家族がいなくなったら・・・、もし家がなくなったら・・・、もし事故に巻き込まれたら・・・、もし重病を患ったら・・・」、頭の中で big if を想像し、現状がどれだけ幸せかを心の中で感じ取る。
- この世の調和をもたらしている存在があることを信じ、その存在に対し日々の恵みを感謝する。
話が変わりますが、僕がいる department でも呼びかけに応じて大勢の同僚が donation をしてくれました。離れた地からではあるけれど、全力で復興にあたるみなさんの手助けをしたい。どうかこの元気玉が届きますように。
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