米ソフトウェア会社の景気が数年前より良くなったためか、開発のポジションのお誘いのリクルーティングメールが割と頻繁に来ます。なかでもボストンにもオフィスがある Google 先生からのメールが一番頻繁に来ますが、僕は今のポジションを離れるつもりはないので、リクルーティングメールにはただひたすら「ごめんなさい」を繰り返しています。
違う会社からメールが来ると自然とその会社のイメージを僕は思い浮かべます。Twitter とか Amazon とか普段良く目にしているものは、日々利用しているサイトの素敵感が先行して、もしかしたらそこでの仕事も似たような気持ちの高揚を味わえるのではないかと勝手な想像してしまうこともあります。しかし最初はそうであっても最終的には自らの仕事は、設計、コーディング、チームプレイと細かな作業が日々繰り返される日常に落ち着きます。そうなれば入社のときに膨らませていた想像は、己を会社に繋ぎ止めておくにはあまりに微力すぎます。5年、10年と好きでいられるかは、自分の関わる製品の設計の哲学、開発言語を使い倒すその度合い、チームメンバーとの居心地の良さなど、それこそ入社前には知るはずもない細かな要因に大きく依存します。現にその要因が合わずに自分のいまの会社を去った人もこの目で見てきました。サポートにいたとき自分が開発を目指していたこともあり「開発は会社の花形で憧れます」と他の部署の方に言われたことがあるのですが、当時の僕は答えが分からずその場で返答できませんでした。今なら「行き着くところは地道な作業の繰り返しです」と答えます。華やかに見えるものの裏にはたいてい地道な作業の繰り返しがあります。結局はその繰り返される細部が好きでいられるかどうか。世の中どこを見回しても、結局は各々のパーツが細かなレベルで繰り返しをしており、そうして全体が成り立っている、そういう意識があるので僕は隣の芝生が青く見えないタイプの人間です。
リクルーティングメールの段階では、日々職場に向かう前の気分、チームメンバーとの相性、チームメンバーのプロ意識など、日々そこで繰り返される詳細は分かりません。こればかりはそこへ行って時間をかけてみて初めて分かることなので、厄介なことと思います。僕自身は現職のこういった部分のマッチングを破棄して他社へ冒険するメリットがないので、リクルーティングメールへは「ごめんなさい」の一点張りをしているというわけです。
入学、入社など「入○」に代表される第一印象の持つきらびやかなイメージは儚いとつねづね感じています。表層的なイメージは時間とともに取り除かれ、最終的に残るのは日々紡がれる繰り返し。そして一日に処理できる量は微々たるもので、必然的に細かな作業ということになってくる。その細かな作業の繰り返しに穏やかな気持ちで向き合えるかどうか、そこに新しいものに惑わされずに(飽きずに)道を貫いていく本質が隠れていると思います。逆に、新しいものへ憧れはそうした見慣れた繰り返しから逃れるためのあがきなのかもしれません。しかし、その先にはまた繰り返しが待っていることを忘れてはならない。繰り返しと飛翔、その中に成長があるのかな、と最近感じています。
どーでもいいけど先週のブリザード。まじで勘弁してくれ |
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