こんな図を考える。
これは 状態 A から状態 B へは移れるが、状態 B から状態 A に戻ることは至極困難だということを示す。日常での例を挙げると、
【状態 A: たばこを吸わない 状態 B: たばこを吸う】
【状態 A: 勉学にいそしむ 状態 B: 酒におぼれる】
【状態 A: 物を生み出す 状態 B: 物を消費する】
【状態 A: 人を褒める 状態 B: 人をけなす】
【状態 A: もう少し頑張る 状態 B: あきらめる】
繰り返すが、状態 A にいられれば状態 B にもいられるけど(たぶんそうはしない)、状態 B に慣れたら状態 A に移ることは難しいという話。こういう状況で、僕はできる限り状態 A に身を置くことを選んできた。そうしたほうが精神的に前向きでいられることが多かったから。たとえば、
【状態 A: 大学受験する 状態 B: 推薦をとる】
当時は、せっかく勉強したんだから受験しないのはもったいないと思っただけ。推薦モードに切り替えるなんて楽なことだし。あらかじめ定められたカリキュラムにとらわれずに自分をのばせるモノが見つかってるなら、大学受験なんかしないで推薦をとる方が利口。僕はそうじゃなかったから受験の道を選んだ。センター試験で失敗したけど。
【状態 A: 海外で学ぶ 状態 B: 日本でまず就職】
これは日本での就職活動が始まろうとしてた時のこと。インターンの面接で落ちたときに、どちらの道をとるか迷っていた。たぶん年をとればとるほど、自分を取り巻く状況や人間関係の変化で、海外に行くことは比較的困難になるだろうと思っていた。実際はそういうこともないのだろうけど、自分の性格上そう決め込んでしまうだろうと。ただしこの場合、海外で年をとって日本に戻って就職活動が楽になるかというとそんなこともないが、自分は日本国籍だから母国での方がビザの制約もなくいつでも比較的身軽に動けると思った。悩んだ結果、両者の一方向性を考えて当時は海外で学ぶ方を選択した。
【状態 A: 米国で就職活動 状態 B: 日本で就職活動】
これは米国の大学院卒業間近のこと。やはりビザの制約で米国で就活できる期間は限られている。一度日本に戻ると、物理的に米国にいられないため、米国での就活はしにくくなる。日本での就活なら日本国籍だからいつでもできる。だから、米国で就活することを選んだ。付け加えるとすれば、周りのインド人や中国人も米国で仕事を見つけようとしてるのなら、日本人の自分にできないわけがない、とも思った。アインシュタインと自分ほど頭の出来が違うわけじゃないんだし。
人生で迷ったら一方向性を指針に決断する。キーワードは「迷ったら」。迷わなかったら、もうコアのレベルで行動の判断基準が hard-wired されているから、その判断基準を変える必要もない。その人はそれでハッピーだろう。しかし、迷っているうちはどの道をとるかで葛藤が起きている証拠。そして、直面してる課題をもしもこのモデルに落とし込めるのなら、状態 B にはいつでも移れるんだから(移ったら移ったで大変かもしれんが)まずは状態 A にいることから始めるのも悪くないという話でした。
追記:
コメントで指摘していただいた通り、上記の生産、消費は遷移の対象として捉えるよりも個々の異なる事象と捉えるほうが納得がいくかもしれない。ちょうど個人をタイプを診断する Myers-Briggs Type Indicator のそれぞれの指標のように。僕が5つめの指標を導入するとしたら、あなたは生産者、消費者のうちどっち?ってのを作るかな。
お久しぶりです。以前コメントさせていただいたもう一人のゆうきです。
返信削除お元気ですか?おかげさまでNYに引っ越しました。やはりカリフォルニアにいるより性に合いますね。
さて今日の記事ですが一概に状態Bのほうが簡単だとは言えなんではないでしょうかね?ものを消費するのは大変ですよ。感性にあったものを見つけたりそれに対して適切な対価を知ったりするのはすべて時間と経験が必要です。消費には消費のアートがあります!
また物事をもう少しがんばるのはすごく楽チンなのですよ。逆にコストと福利を計算して物事をあきらめるほうがずっと難しいなんてことはいくらでもあります。いまでも日本のシュウ活生はあほらしい就活をがんばってるでしょ?あきらめて世界を旅行するほうが大変でしょう。
ゆうきさんもお仕事始められたようでおめでとうございます。とりあえずはいっぱい吸収してください。そのうち周りの人たちから人生に対して学べることも減ってくると思いますが…
> ゆうきさん
返信削除お久しぶりです。読んでくださっていてありがとうございます。おっしゃっていた通り東海岸に移られたのですね。冬の過ごしやすさとなると西海岸の方に完全に軍配があがると思いますが、やはり住み心地のよいところに住むのが一番だと思います。
つっこみの通り、消費には消費のテクニックがあると思います。私が具体的に考えていたのは、Linux や Ruby のようにたくさんの人に使ってもらえるものをスクラッチから作り出す能力とそれらを単純に使いこなす能力のような関係でした。消費において適切な対価を見定めるのは、おそらくその先に検討しなければいけない重要な事項が待っているからだと思います。ただ、そのような突っ込んだ話になれば、この二頂点・一辺のモデルは単純化しすぎたものになるでしょう。
もう少し頑張るというも説明不足で、正確には歩み続ける力です(対するは歩みを止める)。何に対して歩んでいくかは時々刻々それを考えていかないかねばなりません。失敗しても関連した目標をいち早く設置にしてそちらに向かう気力さえあれば十分だと僕は思います。日本で就活せずとも、何かを探し求めて世界を旅するのであれば、それは前に向かって歩みつづけている証でしょうから。
仕事はまだまだこれからですが、ひとつの分野で抜きん出るべく日々頑張ります。年をとるにつれ周りの人たちから何を学べるかはわかりませんが、いつも脳みそを柔らかくして待ちかまえていたいと思います。NY もまだ寒いと思います、風邪など引かれぬようどうかお気をつけください。