2010年5月28日金曜日

Get sth under your belt !!

ふと思いついたので、何かを習得するとはどういうことかについて考えてみます。もちろん、すでに自分のスタイルをお持ちの方にとっては当たり前の話だと思います。

ドラゴンボールで、セルゲームにむけて精神と時の部屋で特訓中の悟空が、パワーに頼った変身を試しにやってみるシーンがあります。しばらく考えてから悟空はこう言います。
これからは寝るときいがいはなるべくいつも超サイヤ人でいて、それがあたりまえの状態にもっていくんだ・・・・・・遠まわりなようだけどそれがいちばんだとオラはおもう
私もそう思います。何かを身につけるということは、それを瞬時に引き出せる能力を持つということだから。引き出そうとするたびに「勉強モード」にコンテキストスイッチしてたのでは、身についているとはいえないと思います。

米国でのソフトウェア会社とのインタビューで感じたのは、大学(undergrad, grad)で学んだ内容をかけ算九九を取り出すように引き出せないと相手にしてもらえないということ。あーそれ大学の授業で学んだけどそれが何だか忘れてしまったは、アウトです。大学での専攻と職種の関係をきびしく問われる米国ならなおさら。見られているのは、大学で学んだことがその人の血となり肉となっているかどうか、あるいは未知の問題が出てきたときに、学んだことを瞬時に取り出し、加工してその問題を解く力があるかどうか。取り出すだけで精一杯になっているようでは、瞬時に取り出せる人とは天と地の差。聖闘士星矢で、天蠍宮のゴールドセイント、スコーピオンのミロがこんなセリフをいうシーンがあります。
星矢とかいったな。確かにお前はセブンセンシズに目覚めつつある。また、お前の拳も光速に近づきつつある。だが、これだけは教えておこう。セブンセンシズに目覚め始めた者とすでに備えている者との間には、想像以上に大きな隔たりがあると。そして、光速に近い拳と光速そのものの拳の差も同じだ。聖闘士同士の闘いは、数千分の一秒の差が生死を決するということはお前でも知っているだろう。
技術を把握し瞬時に取り出せる人と、技術をなんとなく理解している人との間にも想像以上の隔たりがある。そして、大規模なソフトウェアの開発では、どちらのタイプの人を使うかで最終的な製品の品質が決まるのです。だから、インタビューではマッスルタワー方式で技術的な質問を次々と投げかけ candidate の本当の能力を試すんでしょう。「分からない」を連呼して、マスターすることがとにかく大事というのはそういうわけで(以前紹介したこちらも参考になります)。Twitter にも以前書きましたが、変えてほしい思う日本の諺に「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」があります。なんで、聞くことを最初から恥と決めつけてるんでしょう?聞くことはいいことなのに。「聞くは一生の誉、聞かぬは一生の恥」なのです。

勉強とは「我慢を強いる」と昔教わった記憶があります。我慢してやっていることだから長時間勉強すると、あぁー勉強したと気持ちよく吐き出したくなりますが、そうやって吸収した人と、三度の飯よりコーディング好き、絵描き好き、野球好きのように吸収した人とでは、やはり大きな開きがあります。一夜漬け後の試験のようなものでは差は出ないでしょうが、5年後、10年後にはっきりとした違いが現れてくるはずです。つまり、あぁ勉強したと感じているうちは、まだまだということ。再び勉強モードにスイッチするまで頭を休ませている人がいる一方で、それが好きでたまらずに休むことなく吸収し続けている人もいるのです。後者みたいな人は世の中にごまんといます。何かを身につけるには、悟空の言うように、当たり前になった状態で吸収していくことです。でなければ、直感レベルで取り出すなんて不可能ですから。

最初から好きなことが見つかってやり続けている人はもう何の問題もなし。ところが、世の中そんなにうまくはいかないという方もいるでしょう。そういう方には、最初は我慢してやっていても、やり続けているうちに好きになるのも素晴らしい能力なんだと気づいてほしい。一日でもそのことをやらないと死んでしまうというレベルまで自分を洗脳できればこっちのものです。

ひとつ例を挙げると、私のいままでの語学学習がそうでした。幼少時に音から自然に外国語を身につけたわけではない私は、英語を習得する際、独自の習得のプロセスを考える必要がありました。それを使って、次の外国語をマスターするのが当面の目標です。このプロセスでキーになるのはやはり悟空の考え方です。詳細についてはまたいずれ。

0 件のコメント:

コメントを投稿