ちょうどタイムリーな記事があれこれ見つかったので、数回にわけて、私の外国語習得法を説明します。これから書くことは、英語以外の言語でも通用すると考えているので、あえて英語習得法とは書きません。本当に英語以外の言語でも通用するかどうかは、今趣味でやっている中国語を英語のレベルまで引き上げられたら、その答えがはっきりすると思います。言語習得の本は山のようにあるので、このブログでは、この人はこんなアプローチをとったのかという感じで見ていただければと思います。ネイティブ(どんな言語にせよ)の方の「生まれてから知らない間に身についちゃった」というアプローチではないので、確固たる習得法を身につけられるというのは、新しい言語を学ぶときのノンネイティブの強みだと思います。
私は23までずっと日本におり、それまでは海外旅行に行ったこともなければ、飛行機に乗ったこともありませんでした。ただし、父親の映画好きが影響して英語の音を好きになっていったのはプラスだったと思います。
【中学高校時代】
私は中学受験の末、早稲田中学に入りました。高校へはそのまま受験なしに進学。中高を通じての英語の教育はやはり英作文、文法重視と日本の大学受験を視野に入れてのものでした。言語を習得するとは、その文化、歴史、人とのやりとり、ジェスチャー、表現、などすべてをひっくるめた宇宙を自分の体内に取り込むという行為だと思っています。昨日の Beer Fest でインド人と話をしたら、彼は中学から英語での教育がはじまったと言っていました。そう、中学生のときに毎日その言語「だけ」で話したら、それは言語が生活の一部となり、誰しもかなり自然にその宇宙を取り込むことができるはずです。ところが、英作文、文法だけを重視して、ひとたび教室を離れれば日本語を話し出す語学習得法を採用したのでは、とてもその言語の宇宙に対抗することはできないのです。
ただ、そんな英作文、文法重視の中学高校時代に自分がやっていてよかったと思うのは1) 英語の音作りと 2) 英文暗記です。英語の音作りは、ラジオ英会話から始まり、学校で出てきた英文はすべて口に出して音を作っていました。口に出さずに次の問題へ進むのはなぜか気持ちが悪かったのです。発音の基礎はこの時期にできたんだと思います。ふたつめの英文暗記ですが、言語習得には、悲しいかな単語を記憶したりと記憶力が必要になります。私は、中学、高校のテスト対策では、テストに出るであろう英文をすべて暗記していました。具体的には、当時 DUO という単語集が使われていたのですが、毎回100つの例文がテスト範囲だった気がします。そして、そのテストのたびに100の文章を覚え、例文の最初の単語をいわれれば、全文が口をついて出るような学習法をとっていました。当時は、「歩く DUO」なんて呼ばれていた気がします。日本語とは違う言語の音を口に出し、意味のまとまりである文を暗記して、自分の口から出る音の流れを頼りにいま喋っているのはこんな意味なのかなと想像する、という練習法を知らず知らずのうちに確立していたことはよかったと思います。大学受験の英語は、やっかいな文章読解も多く、その練習に結構な時間を割いたため、高校卒業時には自分の中から紡いで英語をしゃべりだすということはほとんどできませんでした。語学習得の私的ポイントその1は、音を主体にした勉強が役に立った。その国の文字で書かれていたら、その文章をかならず声に出すこと。意味はわからなくても、暗記して口から音を出せればなおよしです。
今の中学高校の英語教育で、Youtube、Facebook、iPad などを使って生徒をナマの英語に触れさせる仕組みが出てきたら面白いですよね。
【大学時代】
それまで自分にとって英語は、「英語の音が好き」「試験で点数がとれる」という程度のものでした。そんな自分の英語に対する意識が変わり始めたのは、早大1年の後期の授業の時のこと。その授業で、先生が字幕なしで「マチルダ」という映画を見せてくれました。すごく面白そうな映画だったのですが、英語が分からないため、まったく楽しめなかったんですね。英語で点数をとるということと、英語の宇宙に浸ることに大きな違いを感じ始めたのは、このときでした。英語で笑ったり、悲しんだりという感情表現が自分もできたらいいなあと思うようになって、そのときから映画で英語を勉強する日々が始まりました。スクリーンプ レイ社や、アルク社から出てる映画のスクリプトの本を買って毎日映画を見て、台詞を繰り返したりしてました。「こういう場面でそういうのか~」とか「そう いうジェスチャーをするのか~」など、映画から学ぶことは多かったです。特にインデペンデンスデイは大好きで、今でも、とあるセリフをしゃべってもらえれば、劇中のどのシーンか一発で当てることができます。この時期に、日本にいながらにして別の国の言語を習得するには、映画学習は最高だとわかりました。登場人物の顔の表情も見え、場面のコンテキストも分かり、怒っているのか悲しんでいるのかといった口調もどう吐き出せばいいのか、目でみて分かるからです。
ある日、スクリーンプレイ社の新しいスクリプト本を買ったとき、中にリスニンピック(リスニングとオリンピックからできた造語です)と書かれたビラ が入っていました(今はもうサービスをストップしたみたいで、残念です)。これは何かというと、1ヶ月で1つの映画の台詞全てをディクテーションし て、自己採点するというもので、映画が好きで、どれくらい聞き取れるようになってるか正確に測りたかった自分にとってはぴったりのオンラインプログラムでした。リスニングに加えてシャドーイングもするようにして、飲み会があろうが、テニスをしようが、毎日決まった量をこなし、丸2年間続けました。3年目は卒論で続けられなくなってしまいましたが、卒論時も映画で英語を聞きながら作業していました。
修士1年になってから地元でイギリス人の先生が経営する英会話がカフェを見つけました。せっかくの機会だったので話す練習もしようと決めました。あれだけ映画で想像力をかき立てて英語を磨いたんだから、比較的簡単に話せるだろう思っていたら、とんでもない思い違いでした。最初の挨拶のときに英語が全く出てこなかったのです。リスニンピックで毎日2年間聞き続けて24個の映画をこなして、それ以外でも英語に触れていたのに、 全く話せずショックは最高潮。話し英語と聞き英語は違うということを思い知らされま した。ただし、耳は鍛えていたおかげで、先生の話していることはすべて分かったのです。最悪の状況は、聞けない、話せないなのですが、このときはリスニンピックのおかげで聞けない状況はクリアできていました。なので、私自身も半分落ち着いてなんとか先生と話すことができました。そしてスピーキングという課題も見えたので、これからの学習法を修正していく良いきっかけになりました。英語習得に関して、大学時代にやっていてよかったのは、映画で毎日4、5時間英語漬けになる生活に慣れて、勉強しているという感覚がなくなったことです。おかげで、日常生活の一部として英語と付き合えるようになりました。ここでいう私なりの悟空の解釈、もしもあるものを習得したかったらまずは勉強しているという感覚を無くす、ということを私は大学時代に英語の学習で実践しました。ビジネス英語、CNN なども必要だと思いましたが、何よりこの段階でそれを毎日4、5時間続けるのは苦痛だと感じたので、その学習法は自分には適していないと判断し、それらはもっと骨太の英語の力がついてからでよいと考えました。
語学習得の私的ポイントその2は、その言語を生活の一部に取り込もう。たとえば洋楽、映画、英語版のゲーム、取り込み方は人それぞれ。毎日最低2,3時間は費やせるものにしよう。ただし、英語の音がないものはお勧めできません。例のごとく、その言語の宇宙に浸れないからです。
2005年に初めてアメリカに来てからも、私は英語の学習法を臨機応変に次々と変えていきました。またそれは次のおはなし。
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